『知的生産の技術』は天才と呼ばれた梅棹忠夫氏が、タイトルの通り知的生産の技術を披露した名著である。
梅棹氏は京都大学の教授をされていた方だったようで、活躍された分野の遍歴はこちらで紹介されている。
リンクをクリックされた方は、僕と同じ感想を持たれたのではないだろうか。
「イケ・メン…」
さておき、本書は1969年の刊行物であるにも関わらず今なお通用する方法が記載されている。
今回の記事では、その方法と考え方におけるエッセンスの部分を紹介していきたい。
「知的生産」の定義
「はじめに」という序章で、書題ともなっている「知的生産」の定義が行われる。
本書で扱うところの「知的生産」は、以下のようないくつかの言い回しで定義されている。
なお、本書の文章は平仮名が多く、そのまま引用している。
・ここで知的生産とよんでいるのは、人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合である、とかんがえてよいであろう。
・かんたんにいえば、知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら情報を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ、くらいにかんがえておけばよいだろう。
・単に一定の知識をもとでにしたルーティン・ワーク以上のものである。そこには、多少ともつねにあらたなる創造の要素がある。知的生産とは、かんがえることによる生産である。
『知的生産の技術』〔電子書籍版より〕
知的生産とは、創造的な営為であるようだ。
とくに3番目の引用からは、前回の記事で紹介した『思考の整理学』における以下の文と深くつながる。
「量が質の肩代わりをすることは困難である。思考の整理には、平面的で量的なまとめではなく、立体的、質的な統合を考えなくてはならない」
カードとその使い方
氏は上の写真のようなB6版のカードを使用されていたようだ。
そのカードは手繰るように使うことが重要なので、ある程度の厚みと固さを要する、などコダワリがこと細かに記されていた。
読者の方は、わざわざカードを使った作業をするのは、メンドウに感じられるかもしれない。
しかし、ここで説明されたカードの使い方は「知的生産」を行う上で、必要不可欠な行程でもあったので紹介することにした。
カード化のメリット
・カードにかくのは、そのことをわすれるためである。わすれてもかまわないように、カードにかくのである。標語ふうにいえば「記憶するかわりに記録する」のである。
・このふたつの「装置」(カードとコンピューター)には、どこか共通点がある。どちらも、知的生産のための道具としては、いわば「忘却の装置」である。カードは、わすれるためにつけるものである。
『知的生産の技術』〔電子書籍版より〕
『思考の整理学』でも忘却の重要性は言及されていた。
記憶という業務から解放されて、軽やかに思考するためには思考のカード化は必要なのである。
また、カードは役割としてはノートとほとんど同じである。
ノートを保管や手繰るようにして使う上で最適化した姿がカードであったに過ぎない。
・カード法は、歴史を現在化する技術であり、時間を物質化する方法である。
『知的生産の技術』〔電子書籍版より〕
続者の方々にも、今では忘却の彼方にすっ飛ばされた興味深い発想は少なからず存在するだろう。
それら今は亡き発想(=歴史)たちも、思いついた時点でカード化(物質化)していれば、しかるべき時に現在化され、創作を実り豊かなものにしてくれるのだ。
自分は物理的なカードを扱うのが億劫だったので、スマホにカード形式でメモできるアプリを入れて使用することにした。
デジタルゆえの制限も多いが、記録という面での使い勝手はかなりいい。
苦手な管理は機械にまかせることができる。

(出典元:『知的生産の技術』)
カードの具体的な用法
・一枚のカードにふたつ以上の内容がはいっているのは、こまる。一枚のカードにはひとつのことをかく。この原則は、きわめてたいせつである。
『知的生産の技術』〔電子書籍版より〕
このように規格化されたカードを下のように用いたとき、発芽していく。
・カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、組みかえ操作である。知識と知識とを、いろいろに組みかえてみる。あるいはならべかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだに、おもいもかけない関連が存在することに気がつくのである。そのときには、すぐにその発見をもカード化しよう。そのうちにまた、おなじ材料からでも、組みかえによって、さらにあたらしい発見がもたらされる。これは、知識の単なる集積作業ではない。それは一種の知的創造作業なのである。カードは、蓄積の装置というよりはむしろ、創造の装置なのだ。
『知的生産の技術』〔電子書籍版より〕
日々の探究的生活やカード作りを種まきや水やりに例えるとすれば、カードの組み替え操作は植物が発芽して実を結ぶ工程に当る。
「知的生産」の象徴的なプロセスである。
一点、カードが創造の装置であるために注意したい。
・分類法をきめるということは、じつは、思想に、あるワクをもうけるということなのだ。きっちりきめられた分類体系のなかにカードをほうりこむと、そのカードは、しばしば窒息して死んでしまう。分類は、ゆるやかなほうがよい。
『知的生産の技術』〔電子書籍版より〕
『思考の整理学』で、思考の成果物(ビール)を作るには、素材(麦)とは異質のところからヒント(発酵素)を持ってこなければならないと記されていた。
分類とは、素材を同質のものどうしに並べていく作業を指すのであるから、「ゆるやかなほうがよい」のだ。
To Be Continued
カードの用法までで、相当の字数を費やしてしまった。
本書の中で、どうしても紹介したい部分が残っているため、それは次に回すことにした。
梅棹氏の、創造的読書法や文章作成術など、興味深い内容を次回も紹介していく。
お楽しみに!