NO LIFE , NO CINEMA
シネマ

映画狂シネフィルとはなにか?

映画狂のことをシネフィルと呼んだりしますが、果たしてどういう意味なのでしょうか?

読者の方々のなかには、映画ファンを自覚した際にチラチラと耳に入ってくる映画狂シネフィルという言葉が気になっていた方もいると思います。

野球狂、拳キチ…「狂」とは、あるものを異様に好きな人々を表すときに用いられます。

映画狂が映画を熱狂的に愛して浴びるように鑑賞する人々であることはたしかですが、それだけでは語り得ない部分があります。

この記事では、より具体的な映画狂の特徴を書いていきます。

自己紹介

自分は映画監督志望のアラサーです。

かつては映画狂シネフィルでした。

高校時代までは通算鑑賞本数10本にも満たない映画を観ない少年でした。

大学に入ってから映画狂の先生に触発され、映画にのめり込んでいきます。

大学1年ー101本

大学2年ー404本

大学3年ー635本

大学4年ー475本

大学院1年ー450本

大学院2年ー200~300本?(手元に記録なし)

ピークは大学3年の春休みで、3月だけで90本以上観てました。

年間1000本を目指していたのです。

しかし、大学3年の途中で、自らも映画を作り始め、鑑賞速度はスローダウンしていきました。

働き始めてからは本数が激減して、年間60本程度の鑑賞でした。

映画狂について自身の経験も交えて説明する上で、基準として本数を共有しておくとわかりやすいので、書いておきました。

映画狂の定義

トリュフォーの言葉を手がかりに

映画狂シネフィルの条件は、年間◯◯◯本以上映画を観る人のことである!

のように画一的に断言することはできません。

ここで、映画史における映画狂の代表格的な存在であるフランソワ・トリュフォーの言葉を引いてみましょう。

Embed from Getty Images

1975年、つまりはトリュフォーが映画監督になってから15年以上の月日が流れている状況で書かれた文章です。

わたしは相変わらず映画を愛してはいる。だが、いまわたし自身がシナリオを書き、企画を立て、撮影し、編集しているーつまりわたし自身のー映画以上に、わたしの心をとらえる作品は、正直のところ、もうないのである……。ときとして作品そのものの持つ価値以上の魅力を混沌とした状態ながら付け加え、ふくらませてしまう、あのめまいのようなすばらしい映画狂シネフィルの寛容は、もはや、わたしにはないのだ。

『映画の夢 夢の批評』(フランソワ・トリュフォー著/山田宏一+蓮實重彥[訳]/たざわ書房/1979年3月20日初版発行/p.16)

上で語られている意味で、自分は大学3~4年の限られた期間、シネフィルだったと確信しています。

その時期の自分は、愛する映画に対して、その魅力をかぎりなく増幅できる能力をもっていました

この感覚は恋に似ています。

惚れた相手に対して愛がふくらんでいくような、アレです。

「◯◯が恋人」といった表現にはクソ寒いものを感じますが、まさに映画に恋していました。

映画狂の生態や熱量をうかがい知るには、ヌーヴェルヴァーグ(とくにトリュフォー)の批評を読むと伝わってきます。

書籍では山田宏一さんの『トリュフォー、ある映画的人生』や『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』は必見です。

もう映画狂ではないと自覚したとき

自分が映画狂でないことを自覚したのは、『オーソン・ウェルズのフェイク』(以後『フェイク』)を観た大学院1年のときです。

『フェイク』を観たのはこのときが2度目でした。

『フェイク』は自分が最も衝撃を受けた映画であったはずなのに、再見して魅力をあまり感じられなかったのです。

初めて観た大学時代の自分にとって、オーソン・ウェルズは神に等しい名前で、彼の演出がいちいち突き刺さり、脳内で次々に開花しました。

Embed from Getty Images

しかし、2度目には彼の演出にノることができませんでした。

理由は端的に、上で述べてきたような「魅力増幅」の機能が衰えてしまったからです。

とくに『フェイク』という映画では、仮に黒く見えていても、ウェルズが白と言えば、本当に白く見えてしまうような嘘(=演出)を信じるエネルギーが必要でした。

もはや、映画狂ではなくなったのです。

この経験から、狭義の映画狂については以下のように定義することができます。

映画狂シネフィルとは、仮に映画の欠点と思われる箇所があったとしても、

その映画の魅力を自分の中で増幅させることで、その欠陥を帳消しにし、

延いては魅力に変換してしまう能力をもつ者である。

上で示した、映画狂の能力はだいぶファナティックなものです。

どこか覚めた目で映画を観てしまうようになった自分にとって、人生の中で再び映画狂に戻るのは困難ではないか、と感じています。

ボクシングでは「ボクサーは2週間なにも練習しなかったら、ただの素人になる」という言葉があります。

似たような後戻りのできなさ、コンディショニングを整えていくことに対するめまいを、映画狂にも覚えます。

おわりに ー これもまた映画狂

今回の記事では、自分が思う映画狂の定義を書きました。

映画狂の定義に対して「狭義」と付けたように、これは映画狂のすべてを言い表しているわけではありません。

しかし、核心の部分だと自分は思っています。

最後に、トリュフォーの批評集『映画の夢 夢の批評』の序章にあたる『批評家はなにを夢みるか』を締めくくるエピソードを紹介します。

トリュフォーは長年の友人であるジャン・ドマルキという永遠の映画狂を頭に思い浮かべながら、次のように記します。

経済学部の教授であるジャン・ドマルキは三十年来ずっと、いまなお、年間三百五十本もの映画を熱狂的に見つづけていて、それでも、わたしに会うたびに、こう言うのであるー「相変わらず食えるものがないねえ、まったく!」

『映画の夢 夢の批評』(フランソワ・トリュフォー著/山田宏一+蓮實重彥[訳]/たざわ書房/1979年3月20日初版発行/p.48)